Not Time

この記事は一年以上前の記事です。

私は敷居が低いと よく言われる。
自分としては とことんさらけ出して ぶつかり合いたいってのが建前で
隠しものを暴かれるのが怖いから 欲するものを初めから与えてしまえば 与えたくない真理を隠せるってのが本音だったんだ。

でもね 本当は違った。
それすらも後から付け足した言い訳でしか無い。
自分に対する枷 それが真実だった。



自我が芽生えてからの十数年 苦しいものを克服する度に階段を上っている感覚がした。
そしてある時 それまでとは比べ物にならない大きな段を目前にした。それは最早壁だった。
この小さいカラダでは上ることはかなわないから、壁をぶち壊した。
壊そう という意志で触れたら 本当に全部壊れた。

それから十年 先述のような人間として生きてきた。
そう 思っていた。
でもね 自分の枷の中身を覗いてみて 思い知らされた。

時間じゃない。
時間じゃないんだ。
この星が生まれて たかだか45億年。
この宇宙が生まれて たかだか140億年。
そうじゃない この宇宙が生まれて この星が生まれて 流転の中で私が生まれて
そして 私はいずれ死んで この星もいずれ消えて この宇宙もいずれ消える。

時の漣(さざなみ)の中で 風の様に流れ 華の様に泥臭く生きる。

例えば私が死ぬとして その代わりに知らない誰かが 美味しい飯が食えて笑えるなら 喜んで死ぬ。
そう思っていた。
そうじゃない 差し伸べる手は誰かを引き上げる為なんかじゃない。
一緒に踊る為 その為だけに手を広げるんだ。

時間じゃない 価値じゃない 言葉じゃない。
カタチじゃない 夢じゃない 真実なんてクソ食らえだ。
その履き古した靴を捨てて 一緒に踊ろう。
人はそろそろ今を喜んでもいいんじゃないか?

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