I love cooking!!
この記事は一年以上前の記事です。
私は料理が好きです!
より美味しく作るにはどうしたらいいか、その時々の条件(時間や食材)に合わせて試行錯誤するのがとても楽しい。
もう料理が好き過ぎて、料理をすると躁転しちゃうくらい好き。
作る前に一度全行程を頭の中で流して、味を想像する。
自分のOKが出れば取りかかる。
出来上がりは大抵想定していたものより数段美味しく出来上がる。
それは料理の過程で更にアイデアが浮かんでくるから。
料理は楽しい。
食材が一つの線
調理が一つの線
時間が一つの線
これで立体的な作品が出来上がる。
更に口の中で他の料理と混ざり合って、また新しい味になる。
多次元的な作品、それが料理だ。
食べた後は感動と共に、
「これはもっとスパイスを効かせたらどうなっただろうか?」
や
「これに米を入れたらどうなっただろうか?」
など反省と次回の美味しい料理に向けての模索に明け暮れる。
うん、だから躁転するんだ。
頭がフル回転しだす。
でも妥協したくはない。
でも料理がしたい。
したくて仕方がない。
もう、最近料理欲(?)がグツグツと煮えたぎっているので、ちょっとだけ作ることにした。
今朝は果物を切っただけだけど、料理が出来て嬉しいので一人ニヤニヤしてたw
んで今夜は明日の朝に食す予定のスープの下ごしらえをした。
私は鰹だしの良い香りが鼻を抜けて、久しぶりに幸せな顔をしてたww
このくらいから始めていこう。料理のリハビリ。
躁転するというのは君にとって料理が「非日常」にカテゴライズされてるからじゃないだろうか。あるいは際限なく踏み込んでいける可能性を持ったフィールドだという認識を伴ってしてるか。
生活としての料理は食材と調味料の値段でまず制限される。時間も人によっては然り。
昔のお母さんやおばあちゃんが作ってくれた煮物はそんなにエクスプレッショニングじゃなくて、優しい味だったんじゃないかな。
ルーティンになって嫌気が少ししても、「いや、ちゃんと美味しく食べさせてあげたい」というのが料理のマインドの基本形だと私は思うんだが。
嗚呼。言われてみればそうかもしれない。
昔、うちはそんなにお金がある家では無かったけど「ご飯だけはちゃんと食べさせたい」とおふくろは言ってたな。
ポン酢、マヨネーズ、醤油、梅酒、ぬか漬け・・それらも家で作る事も多くて、家で作った方が楽しくて美味しかった。
それを見て「料理って工夫次第でいかようにでも出来るんだな」と幼いながらも感動してた。
一人暮らしを始めてから一人で料理してみて、それが美味しくて色んな組み合わせを模索していくうちに私にとっての料理が段々と日常から離れていったのかもしれない。
冷水で指がしもやけになったり切れたりしていた、そんなおふくろの指を思い出した。
そうか、もしかしたら料理を続けてみれば躁転しなくなるかもしれないね。
最初の「続けてる」間が心配ではあるがねw
一人暮らしなら実験でも創作でもいいだろうけど、家庭料理は創作じゃなくて「思い」だろう。